老いて始まることもある

人生は一度きり・・・60女一人で今を生きる

母が死んで・・・変わっていった私 悲しむ前に・・・

母が亡くなりました。



私と母との長い、長い時間がやっと終わりました・・・



小学生3~4年の頃から、両親共働きで1か月に何日かだけ帰ってくる家でした。


帰って来るたびお金を置いてまた出て行ってしまう・・・


小学生の私は食事の作り方も教えてもらってなかったので妹の手をひいて


毎日同じご飯屋さんに行って毎日同じものを食べてたのを覚えています。


父の運転するトラックを追いかけ泣きじゃくる妹の手をつなぎ、道路に立ったまま


遠ざかっていく母を涙を溜めて見ていました。


父は子供の所に心配だから帰ると言う母に、電車代を使うと言ってよく殴ったそうです。


帰ってきた時、母から父の悪口の中で何度も聞かされました。


子供の時は皆に言っていたように思いますが、大人になってからは私が離婚して子供と


暮らしている所へいつも来ては集中砲火のようにまくし立てていました。


母も皆、結婚して遠くに行ってしまい私しか聞いてもらえる所がなかったんだと思います。


親友が1人だけいましたが60過ぎにガンで亡くして、それ以来友達は作りませんで


した。


それから私の子供が育ち、父が脳梗塞で倒れ、私たちは二人っきりになりました。


はじめは一緒には住んでいなっかったのですが、母が80歳近くになると不安だから実家


に帰ってきてほしいと言われました。正社員で働く私は日曜日の度に母を連れ出し


本当に二人でよく色んなところへ出かけていきました。


中国へ二人で旅行した事もあります。


母はどこにでも付いてきました。ユバーサルスタジオでジュラシックパークのジェットコー


スターやバックツーザ フューチャーの激しい乗り物なども楽しんで乗っていました。


80にもなって・・・(笑) 


自動で撮られた写真はアインシュタインのようでした。(怖)(笑) 


二人だけだから良く喧嘩もしました。本当に今思うと無駄な時間でしたね。


そしてだんだん認知が始まり体が弱ってきました。


認知特有の激しい被害妄想に喧嘩も絶えなくなってきました。


それでも外に出たいと言う母の願いを聞いてミニ旅行に行けば、ご機嫌でしたが


また、しばらくしたら入退院の繰り返し・・・


それから脳梗塞を私の目の前でおこし、コロナだからお見舞いも行けず心配でたまらなっか


けど、只々じっと見守るしかありませんでした。


処置が早かったので何とか歩けましたが認知は少し進み、出来ることが減ってきました。


それでも89歳まで私と体調の良いときは四万十川に旅行に行ったりしていました。


けれど異変は今度、私の方に起きました。仕事と介護のストレスで体調をいっぺんに


崩しました。


10月くらいの日光で皮膚を火傷をするようになって、介護の限界を迎えました。


原因は解らず、妹に母を引き取ってもらうことになりました。


それから1年は週1回私と近くのドライブを楽しみ美味しい物を食べ、かみ合わない


話に花が咲いていました。


最後に淡路島に一泊旅行をした次の日に2回目の脳梗塞を起こし、あまり会わせてもらえな


いまま11月のはじめに逝ってしまいました。


お通夜の日、母が焼かれると思うと一睡もできませんでした。複雑な思いのまま棺の


中の母の顔をガラス越しにずっと見ていました。


その時ふと母が違う人に見え、遺体から抜けていったように思えました。


それから私はずっと側にいるであろう母と会話しています。もちろん家でですが。


でないと怖い人になりますね。(笑)


それから涙は出なくなりました。ふとした時に思い出し少し涙することはありますが、


大泣きはしません。母はずっと私を見守ってくれてると思っています。そう感じると


胸が熱くなりとても安心します。


共依存と言えるような関係でしたが母が生きてる限り全力で母を愛し、できる限りのことを


したから思い残すことが今はなく穏やかに暮らせています。


そして母は私に強さと、前に進む勇気を与えてくれました。


60歳前にして私はどんどん今まで出来なかった環境を自分で変えてきています。


自分でも驚くほどに・・・


母に聞いてもらうために始めてた弦楽器も逝ってしまうその日に一曲だけ、消えてしまいそ


うな意識の中で聞いてもらって「上手・・・」と言ってくれました。


初めて母に褒めてもらい、それが自信となり今はその時よりももっと上達?している


気がします。今度友人の母の前で演奏します。


今まで恥ずかしくて他人には聞いてもらったことがなかったです。


それと母が生前から兄妹、仲良くしてほしいと言ってた事を思い出し


仲の悪かった他の兄妹たちと共に協力しあって母の後始末をしています。


亡くなってからでもできる親孝行はあるんだなーとつくづく思いました。


今は私のマンションに母の遺影があって、とても可愛らしい顔で微笑んでいます。


母はきっと喜んでいるんだと思います。



常に側で見守ってくれる母がいるから、今から自分の人生を歩みなおしてみようと


思っています・・・


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