老いて始まることもある

人生は一度きり・・・60女一人で今を生きる

懐かしい両親とわたしの回顧録


父の話は以前のブログで少ししていますが、その


続きを今回は綴ろうかなと思っています。


私の父はよく母に暴力を奮っていました。予科練


上がりの父は故郷の親の会社を引き継ぎ(母の話で


は20人ほど従業員がいたらしい)ましたが連鎖倒産


してしまい夜逃げのようにして関西の大学時代の


友人頼って母と私達を連れて本土に移り住みま


した。


学生時代の友人は冷たく、使用人のように扱われ


料もほとんど貰えなっかたようです。


そのストレスからか、よく母を殴り私達もしょっ


ゅう殴られていました。


父は商才はありましたが、口下手でした。


母はとても賢い人でしたが真っ直ぐすぎる人なの


で嘘も言えず思いを口にしてしまい父の逆鱗に触


れてたうでした😭


それでも今思うと、子供は誰も怪我をしていなか


たので父なりに手加減していたのか・・・


私には思いっきりいつも叩かれてる記憶がありまし


たが・・・(´;ω;`)




そんな月日が流れ、ある時父の倉庫が火事(後日、


放火と知らされた)になっていると私の会社に両親


不在のため警察連絡がありました。



ほぼ全焼・・・



大事な高い商品ばかり入れていた倉庫が丸焼けに。



父は遠方の仕事先から丸1日かけて母と飛んで帰


ってきした。


帰って来てからは周りの家に謝りの挨拶もせず、


只々残ってるわずかな商品を運び出していました


気持ちも分からなくはナイケド・・・🙄


私はおびえきって泣いている母と共に迷惑かけた


周辺の家々菓子折りを持って謝りの挨拶を


れから休みの度に片付けをしに倉庫に通いまし


た。


ケチな父は火災保険にも入ってなく少し類焼した


お隣の家の外壁を修繕しようと私が手配した職人


さんに材料だけ置いていけ、自分で直すと無茶苦


茶でした。


お隣はその後すぐに解体されたから良かったもの


の・・・😓



片付けしているときもプレハブの倉庫の2階の底


が抜け落ち、今にも崩れ落ちそうなのにその下の


階のあの商品を取って来いと父にれ命


何度も持ち出してました。


娘より品物が大事なんだとつくづく実感しました。
(笑)





そんなさ中、警察が放火の犯人を見つけ出してくれ


民事裁判途75歳の父はついに心労が重なり脳梗


をおこし、きな生活になりました。



言葉も話せず、半身まひ。



父の人生は一変してしまいました。



あの日夜中に母から電話がかかってきて飛んで実家


に向かうとオロオロしながら家庭の医学を持って、


ロウロしてた母がいました。


父が酔ってるのかどうなのか分からないと・・・



家も倉庫も荷物が山積みで座るところがないほどに


ていたので荷物の中に埋もれていた父は、私が近


づくと動くほうの腕で私の腕を必死でつかみ、精一


杯のうめき声を出下向きになってた腫れている方


の顔をこちらに向けました


私は驚きすぐ救急車を呼び10分ほどで到着しました


10畳近い玄関も雪の回廊のように荷物でいっぱいに


っていたので救急隊員も60㎝ほどしかない通路か


ら担架に乗せて父を運ぶのをあきらめ最後には引き


て救急車に乗せていました😱


翌日、よほど慌てられてたのか救急鞄を実家に忘れ


たので取りに行きたいとのことでした( ´艸`)





父は最初は自分に起こった事の受け入れが出来ずリ


ハビリ中の病院で車いすに乗ったまま残った左手で


私や母をよく突き飛ばしていました。




けど親子なんですね・・・父の深い悲しみが伝わって


ることも出来ませんでした。




そんな中また警察から連絡があって父が住宅の屋


をトラックで倒れる何日か前の日に当て逃げした


の事。


病院に警官が来て事情聴取をしようとしたけど父に


聞いても首をかしげるだけで諦めて帰られました。


その時の担当の方はとても優しかったのを覚えてい


ます。


その後聞いていた住所に菓子折りを持っ謝りに


った時、❝お父さん、体調悪くて気が付かなかった


のね❞言っていただき保険で物損の手続きのみで許


して頂きました😓




倒れてから半年近く経ったとき父も色んなこと諦


たのか大人しくなっていき、父と母は初めて本当


夫婦らしい生活を送るようになったのです・・・



          またこの続きを書きますね

×

非ログインユーザーとして返信する